2026/9/27 主日礼拝 「御国のパラドックス」
聖書箇所:マタイの福音書5章1〜12節
その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。
そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
1.神の国に生きる人の価値観
マタイの福音書は、イエスがユダヤ人だけでなく、すべての人のために来られたことを伝えています。洗礼を受け、荒野で悪魔の誘惑に勝利されたイエスは、人々を癒やすとともに、神の国に生きる道を教え始められました。病が癒やされ、問題が解決することは大切です。しかし、私たちの人生観や価値観そのものが神によって変えられることも欠かせません。
マタイ5章から始まる山上の説教で、イエスは八つの「幸い」を語られます。この「幸い」は、一時的に楽しい気分になることではなく、神の祝福に包まれていることです。また、「天の御国」とは神の恵み深い支配を指します。イエスが幸いだと宣言されるのは、世の中では恵まれているように見えない人々です。そこに「御国のパラドックス」があります。
2.心の貧しい人は幸い
心の貧しい人とは、神の前で自分の霊的な乏しさを認め、「主よ、助けてください」と求める人です。自分には十分な信仰がある、自分の力でやっていけると思っている間は、神の恵みを受け取ろうとしません。
イエスは、自分の足りなさを知って神にすがる人に、「天の御国はその人たちのもの」と宣言されます。そこに、何かを成し遂げてからという条件はありません。空っぽのまま神を求める人に、神の恵みが与えられるのです。
3.悲しむ人は幸い
当時のユダヤ人には、神の民でありながら外国の支配下に置かれている悲しみがありました。現代の私たちにも、愛する人との別れや、誰にも話せない痛み、戦争によって負った傷など、さまざまな悲しみがあります。
イエスは、そのような人々が「慰められる」と約束されました。人には聞いてもらえない悲しみも、イエスは受け止めてくださいます。身近にも、悲しみを抱えている人はたくさんいます。その人のために祈り、挨拶やちょっとした会話を通して、一度でも笑顔になってもらえたらいいですね。その人の一日が少しでもよくなるように、私たちが用いられたら嬉しいではありませんか。そんな小さな関わりから、悲しむ人に寄り添っていきたいと思います。
4.柔和な人は幸い
柔和とは、ただおとなしいことではありません。自分の弱さを知って神の前に謙遜になり、怒りや権力を人にぶつけず、神と人の声に耳を傾けることです。怒りを感じる時こそ、柔和に生きられるかが問われます。
モーセの後を継いだヨシュアは、自分の力の足りなさをよく知っていました。だからこそ、自分の考えや策略に頼らず、神様に聞き、その言葉に従って民を導いたのです。私たちも、神様の前にも人の前にも謙遜になり、神様の言葉に従って歩みたいですね。そのように柔和に生きる人に、イエス様は「地を受け継ぐ」と約束してくださっています。
5.義に飢え渇く人は幸い
「義」は神の正しさです。人間の正しさには限界があり、世界には今も不正や暴力によって苦しむ人々がいます。搾取され、苦しんでいる子どもたちや女性たちがいます。「どこに正義があるのですか」と求めながら、不義の中で生きているのです。この人たちこそ、義に飢え渇いています。その苦しみに、私たちも心を向けたいですね。
神が治める御国は、不正や偽り、暴力が支配する場所ではありません。イエスは、義に飢え渇く人が満たされると約束されます。苦しむ人を助けるために働く人々を支え、祈ることも、この約束を聞く私たちの応答です。
6.憐れみ深い人は幸い
憐れみとは、人の痛みや混乱に寄り添い、助けることです。イエスは罪を犯した人にも寄り添い、ご自身を十字架につける人々にまで赦しを示されました。イエス・キリストの十字架は、どんな罪も赦すことのできる十字架です。それほど深く、イエス様は私たちの罪を負って苦しんでくださいました。その赦しを受け取ることが大切なのです。十字架には、それほど大きなキリストの憐れみが表されています。
その憐れみを受け取った人は、自分もまた人を憐れむ者へと変えられていきます。キリストから受けた憐れみが、私たちを通して周囲の人へ流れていくのです。
7.心の清い人、平和をつくる人は幸い
神が求められる清さは、外から立派に見えることではなく、神をまっすぐに見上げる内側の誠実さです。私たちは自分の力で完全に清くなることはできません。それでも、罪を悔い改め、神の前に進み出ることができます。
また、平和をつくる人は「神の子ども」と呼ばれます。平和には、国や民族の間だけでなく、家庭や人間関係、心の平安も含まれます。ひどいことをされた時に仕返しを考えるのではなく、神に委ね、憎まれても愛し、重荷を負う人に寄り添う。そのような生き方に、神の子どもの姿が表れます。
8.迫害される人は幸い
最後にイエスは、義のため、ご自身のために迫害される人々にも、「天の御国はその人たちのもの」と宣言されます。過去に殉教した人々だけでなく、今も世界には、信仰のゆえに苦しんでいる多くのキリスト者がいます。イエスは、その苦しみを見過ごさず、天に大きな報いがあると約束されました。
今日、世界では1億3,800万人の子どもたちが児童労働を強いられ、また、3億8,800万人のキリスト者が迫害にさらされています。神の義を切実に求める人々、信仰のゆえに苦しむ人々の現実に、私たちも心を向けたいと思います。
八つの幸いは、イエス・キリストが教えてくださる価値観、人生観、世界観、死生観です。この教えに従って歩むとき、私たちは今の人生の中でも神の国を体験し、神の支配の中にある喜び、平安、感謝を味わうことができます。
お互いに励まし合い、苦しむ子どもたちを救う働きを支え、世界で迫害されているキリスト者たちのためにも祈り、できることをして励ましていきましょう。そして私たちも、神の国の一員として歩み続けたいと思います。
(説教者:高見澤 栄子 師)