礼拝メッセージ(要約)

2026/6/6主日礼拝 「全能なる神 ― 弱さの中に働かれるお方」 

聖書箇所:Ⅱコリント12章9~10節

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

1.全能の神は、私たちのすぐそばにおられる

神は天地万物を造り、歴史を導き、ご自身の御心と計画を必ず成し遂げられる全能のお方です。しかし、遠くから世界を見守っているだけではありません。父のように私たちのそばにいて、一人ひとりの人生に関わってくださいます。
今回は、その全能の力が、私たちの弱さや苦しみの中でどのように働くのかを考えます。

2.なぜ全能の神は、問題を取り除かれないのか

私たちは、「神が全能なら、なぜ病気を癒やし、問題を解決し、苦しみを取り除いてくださらないのか」と疑問を抱くことがあります。
神には、状況を瞬時に変える力があります。しかし、神は必ずしも弱さや困難を取り除くことによってだけ、その力を表されるのではありません。問題を抱えたままの私たちの中に恵みを満たし、その弱さを通して力を現されることもあるのです。

3.「わたしの恵みはあなたに十分である」

パウロに対して、主イエスは次のように語られました。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」
「十分である」とは、足りている、満たしている、支えているという意味です。しかも、それは一時的なものではなく、神の恵みによって満たされ続けていることを表しています。
この恵みは、イエスが私たちを「大切な存在」として愛してくださる思いに根差しています。弱さという器がどれほど大きくても、それを満たしてなおあふれるほど、主の恵みは豊かなのです。

4.神の力は弱さの中で完成する

主の恵みが弱さの中に満ちあふれるとき、それが具体的な力となって働きます。「完全に現れる」とは、神の力が十分に発揮され、その計画が成し遂げられることを意味します。
私たちは自分の力で問題を解決し、誰にも頼らず、失敗しない強い人になりたいと願います。しかし、自分の力だけを求めるほど、神に頼ることを忘れてしまう危険があります。
自分ではどうにもできない弱さを認めるときにこそ、神に委ねる道が開かれ、全能の力が働くのです。

5.取り除かれなかったパウロの「とげ」

パウロには「肉体のとげ」と呼ばれる深い苦しみがありました。その具体的な内容は分かりませんが、パウロはそれが取り除かれるよう、三度、真剣に祈りました。
しかし、主の答えは「取り除いてあげよう」ではありませんでした。主は、その弱さの中に十分な恵みを与え、ご自身の力を完全に現すと約束されたのです。
弱さが残っていても、神の恵みが不足しているわけではありません。むしろ、その弱さが神の力の働く場所となります。

6.弱さを誇り、困難を受け止める

パウロは、キリストの力に覆われるために、自分の弱さを誇ると語りました。弱さを誇るとは、苦しみを喜び楽しむことではありません。自分の弱さを隠したり否定したりせず、神の前にさらけ出し、受け止めることです。
弱さ、侮辱、苦難、迫害、困難は、避けるべきものと考えられがちです。しかし、それらのただ中にも全能の神は働かれます。そのためパウロは、困難を積極的に受け止め、「私が弱いときにこそ、私は強い」と告白したのです。

7.十字架によって最大の弱さは解決された

人間の最も深刻な弱さは、罪によって神との関係が失われていることです。しかし、イエス・キリストは私たちの罪を引き受け、十字架にかかってくださいました。
その結果、信じる者は罪を赦されただけでなく、「神の子」とされ、永遠の命を与えられました。神は、私たちの最大の弱さである罪の問題を、すでに十字架によって解決してくださったのです。
それゆえ、日常のさまざまな弱さについても、私たちは主を信頼することができます。

8.弱さを自覚するときは「祈りのとき」

自分の失敗、生まれ持った性質、家庭環境による傷、過去の出来事、痛みや束縛などを、自分の力だけで解決しようとする必要はありません。
自分の弱さに気づいたときは、それをイエスに打ち明け、祈り、明け渡すときです。
「私は弱く、自分ではどうすることもできません。この問題をあなたの御手に委ねます。私の考えではなく、あなたの御心がなりますように」
この祈りの中で、全能の神の恵みと力が働きます。

9.他者や社会の弱さからも目をそらさない

私たちは、自分だけでなく、家族、友人、職場の人々、社会や世界の弱さを目にします。戦争や争い、悪や不正など、目をそらしたくなる現実もあります。
しかし、そこで無関心になるのではなく、「全能の主よ、この弱さの中に働いてください」と祈るよう招かれています。神はやがて、キリストの再臨によって、すべての罪と悪、弱さに終止符を打たれます。同時に、今この時にも、弱さのただ中で働いてくださるのです。

10.全能の主を信じ、祈って歩む

これから何が起こるか、私たちには分かりません。すでに困難が待っているかもしれず、突然の出来事によって平穏が打ち砕かれることもあるでしょう。
しかし、全能の主はいつもそばにいて、私たちの味方となってくださいます。弱さを自覚すればするほど、主の恵みは満ちあふれ、その力が完全に現されます。
神が全能であると信じることは、その全能の神に祈ることへとつながります。自分の弱さ、他者の弱さ、社会の弱さから目をそらさず、すべてを主に委ねて歩みましょう。

まとめ

全能の神は、必ずしも弱さや苦しみをすぐに取り除かれるとは限りません。しかし、その弱さの中に十分な恵みを注ぎ、ご自身の力を完全に現してくださいます。

したがって、弱さは失望の理由ではなく、神の恵みと力を経験する場所となります。

「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」 ――Ⅱコリント129

 

(説教者:安海 和宣師)