礼拝メッセージ(要約)

2026/8/23 ウエルカム礼拝 「 神が一緒ならケセラセラ」 

イザヤ書 41:10

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

導入

神は、人生の困難に直面する私たちに「恐れる必要はない」と語られます。それは単なる気休めではありません。私たちを造り、愛し、人生の最善の道を知る神が、共にいてくださるからです。
神は私たちを強め、助け、その義の右の手で守り導いてくださいます。ただ私たちの願いどおりにしてくださるのではなく、神の正しさに基づいて、私たちを最善の道へと導いてくださるのです。

現代人の孤独を映す現代人

Mrs. GREEN APPLEの「ケセラセラ」は、孤独や心の傷、嫉妬、むなしさを抱えながらも、「ケセラセラ=なるようになる=なんとかなる」、だから「今日も踏ん張っていこう」と自分を励ます応援歌です。
明るい曲調の背後には、孤独、心の傷、嫉妬、むなしさ、不幸感、人間関係への疲れなど、現代人が抱える痛みが描かれています。それでも、「自分自身に『大丈夫』と言い聞かせ、今日を生きよう」と呼びかける内容です。
多くの人がこの曲に共感するのは、心の痛みや不安を抱える中で、「大丈夫」「なるようになる」「なんとかなる」と誰かに言ってほしいと願っているからでしょう。

ゴスペルが歌う「大丈夫」

カーク・フランクリンの「My Life Is in Your Hands」も、人生の苦しみや孤独を歌っています。友人が去り、愛してくれる人が見つからず、心が砕けそうになることもあると。
その現実に向き合いながら、「恐れなくてよい」「困難を乗り越えることができる」「大丈夫だ」と歌います。
ある意味で、ミセスが歌う「ケセラセラ」と同じです。
ただ、この歌には「大丈夫」と言える明確な理由があります。
それは、「イエスという友が共にいて、涙を拭い、傷ついた心を癒やしてくださるから。どのようなことが起こっても、人生はイエス・キリストの御手の中にあるから。私たちを愛するイエスという方が共にいて、助けてくださるから。だから大丈夫だ」と歌っています。

二つの応援歌の大きな違い

「ケセラセラ」は、苦しい現実の中で「それでも、なんとかなる」と自分に言い聞かせます。
一方、ゴスペルは「大変なことがあっても大丈夫。なぜなら、神が共におられるから」と語ります。
その違いは、「大丈夫」と言える根拠があるかどうかです。
聖書の励ましは、漠然とした希望や一時的な気休めではありません。神ご自身が「わたしはあなたと共にいる」「あなたを強くし、助け、守る」と約束してくださっています。

神の助けが人生の現実になる

神を知らなければ、「大丈夫」と言われて一時的に励まされたとしても、不安の根本は残ります。しかし、神を知り、神と共に歩むなら、神の言葉はリアルに迫ってきます。そして神の助けは人生の中で現実のものとなります。
心が弱り、歩めないと思うときには、勇気と新しい一日を与え、一歩ずつ導いてくださいます。気休めではなく、本当に神が助け、解決を与え、道を開き、守り、導いてくださるのです。

神と共に歩む人生へ

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
この言葉は、すべての人に語られる神の約束であり、すべての人に向けられた神からの招きです。
この神を信じて歩むなら、「なんとかなる“だろう”」ではなく、「神が共にいてくださるから大丈夫」と言える人生を、本当に歩むことになるのです。

 

(説教者:波多 康 牧師)