礼拝メッセージ(要約)

2026/8/16 主日礼拝 「 全能なる神」 

エレミヤ書 3217-19

『ああ、神、主よ、ご覧ください。あなたは大いなる力と、伸ばされた御腕をもって天と地を造られました。あなたにとって不可能なことは一つもありません。 あなたは、恵みを千代にまで施し、父たちの咎をその後の子らの懐に報いる方、大いなる力強い神、その名は万軍の主。 そのご計画は大きく、みわざには力があります。御目は人の子らのすべての行いに開いていて、それぞれにその生き方にしたがい、行いの結ぶ実にしたがって報いをされます。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

序論: 三位一体の神が持つ「全能」

これまで、父なる神が「愛なる方」「赦す神」「聖なる方」であることを学んできました。今回取り上げる「全能」も、父・子・聖霊に共通する神の本質です。
聖書が語る神の全能とは何か、そして全能なる神と私たちはどのような関係にあるのかを考えます。

 

1.神は全能のお方

エレミヤ書32章は、神が大いなる力によって天地を造られ、「不可能なことは一つもない」お方であると語ります。

神の全能性は、聖書全体に表されています。

  • 御言葉による天地万物の創造
  • ノアの洪水やバベルの塔
  • アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの生涯
  • 出エジプト、十の災い、紅海横断
  • イスラエルの歴史への導き
  • 預言の成就としてのイエス・キリストの誕生
  • キリストの奇跡と復活
  • 福音が世界中へ広がったこと

全宇宙を支配される神は、同時に、一人ひとりの心や行動、生き方にも目を留めておられます。神の全能は、宇宙規模の大きな御業にも、個人の人生という小さな領域にも表されているのです。

 

2.全能なる神は、御心を成し遂げるお方

「全能」とは、単純に「何でもできる」ということではありません。論理的に矛盾することや、神ご自身の本質に反することまで行うという意味ではないからです。

例えば、聖書は「神が偽ることはあり得ない」と語ります。これは神に力が足りないからではなく、神が完全に真実なお方だからです。神の全能性は、神の愛、聖さ、真実さと矛盾することなく発揮されます。

そして神は、その全能の力によって、ご自身の聖なる御心とご計画を必ず成し遂げられます。人間や状況、歴史の動きも、神のご計画を妨げることはできません。

したがって、全能なる神とは、私たちの願いを何でも実現する神ではなく、ご自身の正しい御心を、何ものにも妨げられずに成し遂げる神です。だからこそ、私たちは神を信頼できます。

 

3.全能なる神は、私たちの父

全能なる神は、宇宙を造り、歴史を支配する遠い存在ではありません。ニカイア信条が「全能の父」と告白するように、この全能なるお方が、私たちの父なのです。
イエス・キリストは、神を「天にいます私たちの父」と呼んで祈るように教えられました。天におられる偉大な神でありながら、私たちが親しく近づくことのできる父なのです。

全能なる父は、私たちを造り、知り、愛し、養い、導いてくださいます。詩篇139篇が語るように、私たちの行動だけでなく、思い、恐れ、傷、喜び、言葉にできない苦しみまで知っておられます。

さらに、私たちは御霊によって、神を「アバ、父」と呼ぶことができます。そこには、聖なる神への畏れと、愛する父への親しさが共にあります。

 

4.弱さを隠さず、全能の父に委ねる

私たちは、全能なる父の前で自分の弱さを隠す必要はありません。
「私は不安です」「怖いです」「どうすればよいか分かりません」「自分の力ではできません」と、そのまま祈ることができます。神は全能であると同時に、私たちを愛する父だからです。

ただし、信仰とは自分の願いを神に実現してもらうことではありません。次のように祈り、自分の人生を神に委ねることです。
「神様、私の願いはこうです。しかし、あなたの御心がなりますように。私には分かりませんが、あなたはご存じです。私にはできませんが、あなたにはおできになります。」

 

結論: 全能なる父を信頼して歩む

全能なる神は、冷たく遠い絶対者ではありません。私たちを愛し、導き、守り、救ってくださる父です。
自分ではどうすることもできない問題に直面したとき、「私は一人ではない。私と共に全能なる父がおられる」と思い起こすことができます。

願いも、恐れも、弱さも、悩みも神の前に持っていき、最後には「私の願いではなく、あなたの御心がなりますように」と祈りましょう。
全能なる父を信頼し、人生を委ねて歩むことが、このメッセージの勧めです。

 

(説教者:安海 和宣牧師)