​西方教会、東方教会とは?

キリスト教が、ローマ帝国内の各地に伝えられていった頃は、主にパウロが活動した地域(東方)の教会が中心でした。その後、ローマ帝国が東西に分裂し、それぞれ独自の文化を形成しつつ発展を遂げていきます。それに伴い、教会もローマを中心とするラテン語の西方教会と、コンスタンティノポリス(現トルコ・イスタンブール)を中心とするギリシャ語の東方教会とに分かれます。
東西の教会の基盤となった民族、風土の違いから、時間の経過とともに礼拝形式などが大きく異なるように見えるものになっていきます。たとえば教会の建築様式は、西方ではゴシックと呼ばれる、上へと伸びていく形の教会が多く、一方、東方ではたとえばグルジア、アルメニアなどでは円錐状のとがったドーム状、ロシアではタマネギ頭のドームを発達させるといった違いが見えます。
さて、教会が政治権力と結びついたことにより、 東方教会と西方教会も徐々に政治的な意味合いも含め反目するようになり、1054年に決定的に分裂し、西が「カトリック教会」、東が「正教会」となりました。西方教会であるカトリック教会は、聖書から離れて世俗化する中、ヴィッテンベルク大学で教鞭をとっていたルターが、聖書の原点に戻るべきと1517年に95ケ条の提言を発表します。それがきっかけで宗教改革へと発展、プロテスタントの成立となり、カトリックとプロテスタントに分かれます。
一方、東方教会は、ギリシャからスラブを経てロシアへと伝わっていき、ギリシャ正教、セルビア正教、ロシア正教と広がっていきます。日本では「○○正教」というふうに呼ばれるものがそれにあたります。

この東西のキリスト教の分断は、政治的な思惑や民族の争いなども絡み根が深いものとなっていきましたが、第2ヴァチカン公会議(1962~65年)の時に和解が成立しました。