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​信仰告白

ビサイドチャーチ東京は、使徒信条、ニケア信条とともに、以下のような信仰を告白する教会です。

《聖書》

 聖書は、旧約聖書39巻と新約聖書27巻、合わせて66巻から成り立っている。神によって選ばれたそれぞれの筆者が、神の霊感によって記したものである。聖書は人間の発案によってではなく神の創案によって書かれたものであり、人間の日常的な言葉で記述されてはいるが、神の完全な主導のもとに、神が筆者たちを通して記したものである。矛盾も一つの誤りもなく、客観的に厳然と神の言葉である。

 聖書は、神ご自身を、また救い主イエス・キリストをはっきりと示し、神が救いについて人類に啓示しようとされたすべてを含むものである。聖書以外に、聖書の上に立つ権威、あるいは聖書と並ぶ権威はなく、聖書のみが私たちの信仰と全生活の唯一絶対の規範である。

《神》 三位一体の神>

 生きておられるまことの神は、唯一であり、霊なる方であり、すべてのものを創造された万物の創造主、全知全能の絶対主権者、初めも終わりもなく永遠から永遠まで変わらずに存在するお方である。
 神はその主権によってすべてのものを支配しておられる。すべての被造物は神の主権のもとにある。従って、人はこの生きている神のみを礼拝すべきである。
 神は、永遠に父・子・聖霊の三つの等しい位格を持ち、その本質において一つ(三位一体)である。

​3《神》 <父なる神>

 父なる神は、御心のままに、罪人を救うため、時至って御子を世に遣わされた。そして御子イエス・キリストを信じるすべての者を、罪と永遠の死より救い、永遠のいのちを与えられる。

4 《神》<子なる神 イエス・キリスト>

 主イエス・キリストは、神の一人子であり、まことの神であり、罪の無いまことの人である。キリストは聖霊によってみごもった処女マリヤから生まれ、公生涯において奇蹟と教えを行い、人類を罪から救うために、すべての者の身代わりとして十字架の上で死に、葬られ、三日目に身体をもってよみがえり、天に昇られた。このよみがえりこそは、主を信じる者に与えられる永遠のいのちの保証である。

 キリストは今、父なる神の右に座して大祭司として主を信じる者をとりなしておられる。また再び栄光のうちに身体をもって来臨(再臨)し、すべての人を裁き、神の国を完成する。

5 《神》<聖霊なる神>

 聖霊は、人に父なる神と子なる神を示し、罪を認めさせ、「イエスは主である」との告白に導き、人を新たに生まれさせ、神の子ども、キリストの共同の相続人とされる。さらに、助け主、慰め主として、主を信じる者の内に住み、父なる神にとりなし、この世で主と共に生きるように、また主の御心を行う者となるように導き、御霊の実を結ばせ、主の御姿へと変えて下さる(聖化)。

 また新生した者たちの集まりである教会を形成し、主の御心にかなう成熟した集まりとなるように導いておられる。

《人間》

 神は人を神のかたちに創造された。初め人は神との正しい関係にあったが、サタンの誘惑により、神よりもサタンの言葉を信頼し、神に背を向け、神から離れるという罪を犯し、その結果、罪人(つみびと)となった。この神の言葉を絶対的なものとして信じることをせず、神から離れ、神を神として認めないこと、それが人の根本的な罪(原罪)であり、そこからあらゆる罪の行為は生まれるのである。

 それ以来、すべての人は生まれながらに、その思いと言葉と行為とにおいて、神から離れた存在、すなわち罪人であり、神の御怒りのもとにあり、自分の努力によっては神のもとに帰ることも、また、その御心に従うこともできず、死を迎え、永遠の滅びに至る。人は主イエス・キリストの救いの御業(みわざ)によってのみ罪から救われ、神との平和を得、神のもとに立ち返ることができる。

《救い》

新生
 主イエス・キリストの身代わりの死のゆえに、ただ神の恵みにより、信じる者は皆、その信仰によって義と認められ、罪を赦され、罪の支配から解放され、新しい存在として新しく生まれる。この救いは、神の愛を受け入れ、キリストの身代わりの死と復活を信じる者に与えられる神の一方的な恵みの賜物(プレゼント)である。すなわち人の努力や行いとは無関係に、信仰によって救われるのである。

 こうして罪が赦され、義と認められた者は、神と和解し、神の子どもとされ、神の裁きから救われ、永遠のいのちを与えられる。この救いの道の他に、人が罪から救われる道はない。

<聖化>

 罪から救われ、主によって霊的に新しく生まれた者、すなわち新生した者は、新生したことの自覚をもって、教会に集い、日々聖書を読み、祈り、主に従い、主と共に、新しい主の価値観をもって歩むことを日々決断しつつ歩む必要がある。

 ただ、私たちには、その決断を実行する力はないが、その日々の決断を、聖霊が受け止め、実行する力を与えてくださり、一歩一歩主の御姿に変えてくださる。

​<栄化>

 新生し、主と共に歩み続けた、主を信じるすべての者は、主の再臨の時(終わりの時)に、罪が一つもない完全な者、完全に義なる者、栄光に輝く主の御姿と同じ姿を持つ者に変えられ、主との親しい交わりの中、永遠の祝福と恵みに包まれて、永遠に生きる者となる。この主の再臨の時(終わりの時)に完全な救いが実現する。

《教会》

<目に見えない教会(普遍的教会・公同の教会)>

 教会は、聖霊により、また主の一方的な恵みにより、「イエスは主である」と告白し、「新しく生まれた者、神の子ども、天に国籍を持つ者、まことの礼拝者、主の身体の器官、主の宮、主の大使」とされた者たちの集まりである。その集まりには、すでに天に召された者も現在地上に生きている者もすべてを含んでいる。

 この教会はキリストの身体であり、そのかしらはキリストである。

<目に見える教会(地域教会)>

 普遍的教会が、特定の時代及び地域において具現化したものが、各地域教会である。

 地域教会に属する者(その教会で受洗した者、その教会に正式に転籍した者)は、毎週日曜日にその教会で行う礼拝に参列し、賛美し、祈り、聖書による主のメッセージを聞き、感謝の献げ物をし、共に主を礼拝する。

 この礼拝から1週間は始まり、一人一人は、主の栄光を現す主の証人として、各自、主によって遣わされた場所へと、主の祝福を受けてその教会から遣わされる。

 この地域教会で、一人一人が主の御姿へと日々、成長・成熟していくように、またお互いの日々の歩みが守られるように、交わりを持ち、祈り合い、共に聖書を読み、また学び、共に主の御心を知り、御心に従うように励まし合う。

 また地域教会は、教会の定めに従いバプテスマと聖餐の礼典を守り、社会に仕え、主の愛のわざに励み、主の再臨を待ち望む。

《教会と国家》
 主は教会の主であるとともに、すべての権威・権力に対しての主であり、国の政治機構は主が、人間社会の秩序のために定めたものである。また私達は神の民としてこの国に遣わされている者である。

 従って国家政府のために祈り、国、社会に積極的に関わり、聖書に書かれている主の御心に反しない限り、これに誠実に仕え従うべきである。

10 《再臨と最後の審判》
 終わりの時に、主イエス・キリストは、御身体をもって再び来られる。すべての死んだ者は、身体をもってよみがえり、すべての者が主イエスのさばきの前に立つ。主イエスは、主を信じる者をすべて義なる者として永遠の祝福に、主を信じない者をすべて不義なる者として永遠の刑罰に分かち定められる。

 主イエスはすべてを新たにし、御国を父なる神に渡される。

 

私たちは以上の信仰告白と共に、代々のキリストを主と告白する者たちと共に、使徒信条、ニケア信条を告白します。

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