​二ケア信条

私たちは、唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべての創造者を信じます。

私たちは、唯一の主、神のひとり子、イエス・キリストを信じます。

主は、あらゆる代々にさきだって父より生まれた方、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずして生まれ、父と本質において同じです。主によってすべては造られました。

主は、私たち人類のため、また私たちの救いのため天から下り、聖霊と処女マリヤによって受肉し、人となり、私たちの身代わりとしてポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、三日目に聖書にしたがってよみがえり、天にのぼり、父の右に座り、生きている者と死んでいる者とを審くために栄光をもって再び来られます。彼の御国には、終わりがありません。

 

私たちは、聖霊を信じます。

聖霊は主、命を与える方、父と子より出で、父と子とともに礼拝され、ともに栄光を受け、預言者を通して語られます。

私たちは、唯一の聖なる公同の使徒的教会を信じます。

私たちは、罪の赦しのための唯一のバプテスマを告白します。

私たちは、死者の復活と来たるべき世の命を待ち望みます。

アーメン

​– ニケア信条って何? –

 正式には「ニケア・コンスタンチノポリス信条」と言われます。 

 キリスト教は大きく分けて西方教会と東方教会に分類されます。西方教会とはカトリックとプロテスタントのこと、東方教会はギリシャ正教を代表とし、「…正教」と呼ばれる教会のことです。このニケア信条は、どちらの教会にも受け入れられている信条です。

 つまりキリスト教会は、様々な教派がありバラバラのようにも見えますが、聖書だけを土台とし、同じ信仰を告白している1つの共同体と言えるのです。さらに、使徒信条とニケア信条を読むと、とても似ていることに気づきます。つまりキリスト教の信仰告白の骨組みは、イエス・キリストの昇天直後の頃(AD30年頃)から変わらずに、同じ信仰をもっていると言えるのです。


 さて、ニケア信条の成立過程は、使徒信条とかなり異なります。
 AD300年過ぎに、アレキサンドリアの司祭であったアリウスが、イエスは永遠の存在ではなく、神によって造られた最初の被造物であり、父なる神と同一ではないと主張し、「三位一体」を否定したのです。その波紋が広がり議論が白熱し、教会の分裂の恐れさえ生じました。
 AD323年、ローマ帝国の皇帝となったコンスタンティヌス帝が、議論に終止符を打つべく、AD325年にニケア公会議を開催しました。この会議で、アリウス派が排斥されました。こうした経緯を経て確認され、承認され、成文化されたのがニケア信条です。公式の会議で採択された最初の信条です。

 その後、論争はなお続き、AD381年、その時のローマ皇帝テオドシウス1世が、二回目のキリスト教公会議をコンスタンティノポリスで開催しました。そこでニケア信条が再確認され、さらに文章が少し付加されて、ニケア・コンスタンティノポリス信条が作られました。一般的には、それを「ニケア信条」とも「原ニケア信条」とも呼ばれています。